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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [7]




 初めて想いを告げたのは四月だった。

「君のことが好きなんだ」

 実にわかりやすい告白だったと思う。

「中学の時からずっと、好きだったんだ」

 そんな瑠駆真に、当時の彼女は怯えたような態度を見せた。

「―――やめて」

 そんな言葉しか返してくれなかった。
 そうだ、そんな言葉しか、返してもらっていない。
 傍らで視線を落し、カップを両手で包む少女。
 君は、僕の事をどう思っているのだ?
 鬱陶しいというような態度を示す事は多々ある。だが、嫌いだと言われた事はない。
「美鶴」
 無意識に手を伸ばしていた。その指先が自分の毛先に触れ、美鶴はギョッと身を引こうとする。だが一房捕まれ、引っ張られた痛みに眉をしかめた。
「いたっ 何する?」
「美鶴は、迷惑か?」
 相手の問いには答える気などない。ポケットから携帯を取り出す。
「迷惑なのか?」
「は?」
 ワケがわからないといった表情の美鶴に、瑠駆真はチラリと自分の携帯を見せる。そうして床へ投げた。
「写真を撮られて、美鶴は迷惑か?」
「あ、当たり前でしょ」
「どうして?」
「ど、どうしてって」
 ワケがわからない。普通こんな写真を撮られたら誰だって迷惑に決まってる。
 何を聞く? と言いたげな相手の表情に、瑠駆真は胸が苦しくなる。
「それは、僕と噂になるから?」
「え?」
「僕との関係が噂になるから、だから迷惑なのか?」
「そ、それも」
 それもある。好きでもない人間とあらぬ関係を噂されるのは、普通なら迷惑だ。
「アンタだってそうでしょう?」
「僕は、君の事が好きだから」
 美鶴の言葉を遮るように、瑠駆真は語調を強めた。
「小童谷にされた行為は確かに迷惑だけど、美鶴と噂になるのは別に迷惑じゃない」
「そんな」
「美鶴、答えて」
 言いながら美鶴のカップへ手を伸ばす。
「君は僕の事を、どう思ってる?」
「ちょっと、危ない」
 瑠駆真がカップを片手で握り、奪い取ろうとする。
「危ない、零れる」
「だったら手を離して」
「まだ残ってる」
「こっちの方が大事」
「ちょっと、別にこれ持ったままだって」
「離して」
「ヤダよ」
 よくわからないけど。
「まだ残ってるし」
「離さないと零れるよ」
「だったら瑠駆真が離してよ」
「零れても服が汚れるのは僕じゃない。君の服が汚れるだけだ」
「そんな無責任な」
「嫌なら離して」
 手に力を込める。中身が波立つ。
「あぶなっ」
 思わず力を緩めると同時にカップを奪い取られてしまう。
「ちょっと」
 取り替えそうと伸ばした手首をあっさりと掴まれてしまった。髪の毛を握っていた手はいつの間にか肩の上へ。
「答えてくれ」
 身を引こうとする美鶴の顔を覗き込む。
「僕は君が好きだ」
 吸い込まれそうな瞳。あの時もそうだった。初めて好きだと言われた時も、美鶴はその瞳に吸い込まれるのではないかと錯覚した。東洋的(オリエンタル)とも西洋的(オクシデンタル)とも言い切れない、彫りの深いはっきりとした顔立ち。鼻筋からの延長線上に伸びる眉の凛々しさ。
「君は僕の事をどう――」
 どう思っている?
 そう聞こうとして、だが途中で言葉を消してしまった。
 真正面から向かい合う二人。逃れようと身を引く美鶴。
 今日もいつも通り学校へ行くはずだった。いつも通り着込んだ制服。灰色を基調とした、太いラインと細いラインを交差させたウォッチマン・プレイド柄。品の良いデザインだと父兄には受けの良い制服の、その襟元を飾る水色のリボン。キッチリと結んでしまえば胸元を隠してくれるはずの幅の広い柔らかなリボン。悴む手でなんとか結び直したそれは、結び目が甘かったらしく、再び少し解けている。胸元が少し、乱れている。覗く白い肌は本当に綺麗で、でもその上に小さく紅い痕が浮かぶ。
 一瞬、瑠駆真の視界が真っ暗になった。
「どう思っているんだ?」
 言いながら、手首を握る力が増す。
 美鶴は呻き声を上げそうになる。聡に握り締められ、手痕まで残された手首だ。
 そんな相手の表情に一度俯き、視線を逸らし、そうして再び向かい合う。その瞳は、直前までの、静かに問いかけるような代物ではない。
「僕よりも、聡を選ぶのか?」
「え? 何を突然?」
 戸惑いながら険しさの増した瑠駆真の視線を追って胸元を見下ろす。そうしてハッと息を呑む。慌てて空いている手で隠そうとするのを掴まれてしまった。
「ちょっとっ」
 抗議も虚しくそのまま押し倒される。
「うわっ やめろっ」
「聡ならいいのか?」
「いいわけないだろっ」
「でもこうやって、押し倒されてたよね?」
「あれはこちらの意思とは無関係だ」
「胸の痕も?」
「言うなっ」
 こっちは忘れたいってのにっ!
「とにかく落ち着け」
「あんな情景を見せられて、落ち着いていられると思う?」
 言いながらバッタリと美鶴の上に身を乗せる。
 キスまでしやがって。どっちが抜け駆けしてるって言うんだ。
 そんな耳に卑猥な声。

「大迫、お前、キスをするのはこれが初めてじゃないよな?」

 あぁ 初めてじゃない。初めてのキスは若葉の校庭。全校生徒の目の前で、それはそれは爽やかなキスだったよ。
 そう信じてきた。
 その胸に、憎々しい情景が突き刺さる。
 聡と、美鶴が。
 美鶴の部屋で、ソファーの上の二人を目にして、瑠駆真の身体は凍りついた。まるで夢か映画でも見ているのではないかと思った。
 遠い昔の8ミリ映画か、ブレのひどい素人映画でも見せられているかのようだ。視界は淡く薄く、その中で二人だけがとても鮮明に存在している。
 美鶴の細い身体と聡の力強さがコントラストとなって、お互いを引き立てている。白い肌と少し浅黒い肌が対称的で、まるで相手が存在しなければ自分も存在する事のできない黒白(あやめ)のようだと、瑠駆真は思った。
 相手がいなければ、自分も存在しない。
 僕だって、僕だって美鶴がいなければ。美鶴がいるからこそっ!
 滅茶苦茶な感情が湧き上がる。
 だが、湧き上がるのは怒りだけではない。激情にも勝る、懐疑。

「金本って奴と取り合うのも、わからんでもない」

「美鶴」
 自分の下で虚しく身体を捩るその耳元で小さく囁く。
 小さいが、はっきりと囁く。
「美鶴、ファーストキスの相手は誰だ?」
「へ?」







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